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アチャーリャとは、サンスクリット語でマスターを意味し、インドの伝統的な教育を受け修士号を取得した者が持つ名称。
アマンという名前は、平和、マインドの超越を意味します。
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ナマステ・インディア 2010, 講義
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Why i am in Japan?         
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私が日本へやって来てから5年の月日が経とうとしています。その間、多くの生徒さんやお客さまから「なぜ日本へ来たのか」と、幾度となく尋ねられてきました。私は『ある重要なこと』を皆さんにお伝えする為に日本に来たので、成田空港に降り立ったその日にも、それを伝えたいと思っていました。でもその時はすぐに活動出来ませんでした。“誰が望んでこの場で私の話に耳を傾けるだろう”と、思ったからです。そしてようやく今、皆さんにそれをお伝えする時が来ました。

1. 10代の私

私は、スピリチュアリティーが一般的に受け入れられているインドの、ごく普通の家庭に生まれました。私が10代の頃、父は一冊の本を私に与えました。それは“人生の神秘と人生の目的について”の本でした。父は言いました。「人生は、ただ食べて、飲んで、家を建て、セックスをして、子供を育てるためにあるのではない。そんなことは学校へ行って習うことのない小さな昆虫達でさえしていることだろう。だから、この宇宙の中で“人生の意義は何か”を考える人達だけが偉大で、あとの人達は、基本的な本能に基づいて生きている昆虫とそう変わらないんだ。」

 
   
   

そのような考え方が、私にインスピレーションを与え、私は“人生の意義”について考え始めました。小さな昆虫達も人間が営むこれら全てを楽しめるのなら、何が人生で、何が人生の意義なのか、私は10代の頃から考え始めるようになりました。そして、“人間にはどんな優れた可能性があるのだろうか?”この問いが、私の心の奥深くから起りました。

私は学問も続けていました。1994年、チャンディガルにあるパンジャブ大学で、私はサンスクリット語とインド哲学専攻において修士号の学位を首席で通過しました。大学教師になる為の資格にも合格しました。MBA(経営管理学修士)も通過し、輝かしいキャリアが、私の目の前には開かれていました。しかし私はこう考え始めていました。もしこのまま大学教授として働いたら、私は一生、人々の前で同じ本を繰り返し開き、結婚をし、忙しくなるだろうと。なぜならインドでは、永続的な仕事に就くという事は、結婚して子供を儲ける事を意味しているからです。もしその道を選んでしまったら、多分、私は一生涯、人生と宇宙に関する私の好奇心を満たす事は出来ない、と思いました。そして、一定の職には就かず、僧侶のようにいろんな場所を渡り歩きながら“人生の意義”を探すことにしたのです。

 
   

2.  師から伝えられた神の意図

 
   

もしあなたがインドを訪れたら、多くのヨーガ行者達が同じように旅をしながら生活していることが分るでしょう。中には富裕層出身の者もいれば、有名大学で高度な教育を受けた人もいます。通常、日本の人達は仏陀だけがそうしていたと思っていますが、インドの悠久の歴史の中では、何百万人もの人々がそうしてきました。今もその文化は引き継がれています。

私は沢山の場所を訪れ、多くのマスター達に会い始めました。そしてようやく、ヨーガの首都として世界的に知られているリシケシと呼ばれる場所に辿り着きました。私はこの地に、他とは異なる波動を感じたので、しばらくそこへ滞在しようと決めました。私はシバナンダー・アシュラムに長く滞在し、ヨーガニケタン・アシュラム(精神を訓練する場所)でヨーガを教え始めました。私の義務は、毎日約1時間、クラスでヨーガ教えることでした。その代わりにアシュラム側は、食べ物と家と少しのおこずかいを、私に提供してくれました。あとの時間は本を読んだり、スピリチュアルな講演に行ったり、沢山のマスターに会い、瞑想し、ガンジス河のほとりでヨーガをしたり、泳いだり、ただ寝転がっていたり…と、まるで天国にいるような日々が過ぎて行きました。

リシケシでは、100カ国以上もの、世界中から集まってきた人々と出会うチャンスがありました。
多くの外国人達と出会った後、私は諸外国の事や、精神性に関してのインドと諸外国との関わりについて、より深く明確に理解するようになりました。

私は、何人かの日本人にも会い、日本は西欧諸国と基本的に異なった考え方、つまり、仏教や輪廻転生を信じ、インドと非常に近い結びつきを持ち、そして技術的にも物質的にも高度な国だと知りました。私は、海外からの旅行者と多く取引をしている旅行業界の人達から、「日本人は地球上でもっとも礼儀正しい人々だ」と聞いていました。そして私の敬意は益々日本に向いて行きました。ただ一つ私を驚かせたのは、日本は最も豊かな国の1つとして知られていながら、毎日多くの自殺者がいて、そして鬱病率も非常に高いという事でした。 私は、そのことが理解出来ませんでした。なぜなら日本には、最新の技術と仏陀のようなマスターからの哲学があるのだから、人々は最も平和で幸福な国のはずだと思ったからです。

また、別の観点から考えれば、仏陀の思想を5%でも理解する人なら、自殺など考えつくことのない平和な人生を送れるはずです。成功を収めたこの国で、ここまで国民が希望を持てなくなってしまった理由は一体何なのでしょうか。私は、「仏陀の思想が強力に働かないのか、それとも何かが欠けているのだ」と考えるようになりました。“何が欠けてしまっているのだろう?”その疑問は、私の心の中で謎に包まれた問題となりました。

私は、日本に関しての情報を更に集めました。近代の日本について私が集めた情報によると、仏陀はもはや名ばかりなものとなっていて、現代の日本の人々は、忙しい人生の中で少しも仏陀の重要性を得ることが出来ていないということ。長い歴史の経過と共に、仏陀の知恵は薄暗く影を潜め、現代の人生において、人々は古代の思想といかなる繋がりも感じることが出来なくなっています。ヨーガもここでは精神的な目的の為ではなく、健康の為のものです。体や健康や美を改善する為のヨガセンターは多くありますが、インドに何百万と存在するアシュラムのような、魂を改善する為のヨガセンターはどこにもありません。

私は、日本の小さな技術でさえ、かなりのレベルでインドを救える(日本政府はインドで多くのプロジェクトを援助しており、現に多くの製品がインドで有名です)のと同様に、少しでもインドの精神性の活かし方が伝えられ、もしそれが適切に実行されるなら、日本を大きく変える可能性を持っていると考えました。

インドからは多くのマスター達がアメリカや他国へ教えに渡っていますが、言語や文化の違いから、通常、マスターは日本へは訪れないし、活動のために滞在するといったことはありません。すなわち、日本に存在している仏教や精神性に関するどんな情報も、インドからの直伝ではなく、ヨーガや占星術に関する知識が西洋諸国を介して日本に来たように、中国や他国から伝わって来たものなのです。

私はスピリチュアルな指導をする先生達に、あなた方の誰かが日本へ行って教えるべきではないかと話し始めました。多くの師とこの問題について話をしました。

一度、私はある師に対しても、アメリカや他国には出向くのに、なぜ日本へは行かないのかと、同様の問題を投げかけました。しかし、彼の答えは私の予期せぬものでした。彼は言いました。“君は一日中ガンジス河の岸辺に寝そべっているではないか。君が行くべきだ。ガンジス河の岸で寝そべっているだけでは、誰も助けられないぞ。年寄りにそれは出来ないのだよ。若い君がやるべきだ。”

“言葉も文化も分らない、見ず知らずの土地へ行って、どうやって人々に私のメッセージを伝えろと言うのですか?”

“とにかく行ってみなさい。神が、まだ赤ん坊が生まれる前から母親に母乳を用意するように、君の活動に対する人々の協力も既に決められていることがある。そして、これも覚えておきなさい。君が向上させたいと思う魂ではなく、神が向上させたいと思う魂のみが向上させられていくという事を。だから、たとえ結果がどうであれ、君が敗者の気持ちを味わう必要はない。ただ神の手の中で、その道具となりなさい。地球上の各地には多くの高度な意識を持つ魂が住んでいる。日本にもいるはずだ。彼らがきっと助けてくれる。”

私は、言われたことを実行する方向へと考えを進ませました。それ以来、私は更に多くの日本人と関わるようになりました。そして、生徒の一人と日本に辿り着いた時、私は既にインドと日本の違いを知っていました。

 
   
   

3.  師の言葉が現実に!

 
   

私は、日本人の魂を発展させる為に来日しましたが、まず当初は、自分自身の生活のために体のヨーガを教えなければなりませんでした。しかし、私はいつも“いつ高い意識を持つ魂が助けにやって来て、どうやって日本中に教える事が出来るのだろうか”ということばかり考えていました。日に日に時が過ぎていく中、でも、もし運命から何らかの助けがあると決まっているなら、確実にどうにかしてでもやって来るだろうと思っていました。

そして、ある日、待ちに待っていたその瞬間がついに訪れました。ある大手出版社が、私の教えを本に書かないかと申し出が来たのです。通常は自費で出版したり、何らかのコネによって可能な本の出版話が、何のコネもお金もない私の所へ来るなんて、これこそ神が私に与えてくれたチャンスでした。私は、この出版社は日本で非常に歴史があり、この国にとって何か良い題材を出版する準備が出来ていることが分りました。今この時、日本の皆さんに対して、私の伝えたい事を話す時が来ました。

その頃、本を完成させる迄に過ぎ去っていった日々こそ、自分自身にとって大きな助けになっていたことに気付きました。なぜなら、その時間は、私に日本文化をより理解させ、私は現代の日本社会へ分かりやすい方法で、古来の思想を執筆することができるようになっていたからです。

そして、本は出版されました。それ以来、私は日本各地から「どれほどこの本が人生についての展望や人生の目的を変えたか」または「どうやって自殺願望のあった人達がそれをやめられたか」など、E-メールや電話で知らせを受けています。

また、私はこの国には多くの高い意識を持つ魂が住んでいると実感しています。ある魂たちは、事務所を開くのを手伝ってくれました。今、私の唯一の夢は、「どうやってこの古来のメッセージを再び日本に広め、より普及させることが出来るか、仏陀や他のマスター達の知識を日本に復興させることが出来るか」という事です。

物語はここで終わりではありません。ここから始まるのです。
 
   

4.  日本の離婚率増加や少子化問題の本当の理由

 
   

精神性について、様々な誤った認識が存在するために、日本で精神世界について説くのはそう簡単なことではありません。私の本を読んでいない人達が、単に私が何かの宗教の普及活動のために日本に来たと思い、日本人は宗教が嫌いなんだと私にアドバイスをします。

日本で起こっている精神性に関する初歩的な混乱を明らかにすることから私のメッセージを伝えようとと思います。この地球上に生を受けた私達は、一人一人がみな、心の中に何らかの宗教を持っています。まずその事を私達は知っておかなければいけません。宗教とは、強い信仰心や強い信念(イデオロギー)のことであり、理想的な生活や永遠の幸福に通じるただひとつの道だと、あなたが強く信じているもののことです。神を信じない人がいたとして、それはその人があらゆる影響力や思想観念から自由である、ということではありません。なぜならば神の宗教を信じない人々は、普通、物質主義といった別の観念を信じていくからです。そしてそれはなぜかというと、物質主義もまた、宗教と同じく強力な思想観念(イデオロギー)だからです。そして今、西洋諸国の影響の下、日本人の宗教も神道と仏教から物質主義へと変わって来ています。

物質主義という宗教の中で、人は、魂や愛や自然よりも肉体やお金や成功といったものに重きを置くようになりました。それによって、そういう人々の間で、ストレス、離婚、家族間で生じる誤解、精神のアンバランス、絶望、そして自殺がより身近なものとなっているのです。物質主義の生活では、人は自分の家族や友人よりも顧客のことを大切にします。お金は顧客から入ってきますから。それが原因となって、物質主義の人々の経済状況が良くなる一方で、人間関係には失敗してしまうのです。なぜならば、物質社会の競争の中では、人は妻や夫、子供達や祖父母に、多くの時間と関心、そして愛情を費やすことができません。人々の間の信頼関係がより薄れていきます。それが、少子化にも繋がっているのです。子供を作るにはまず、お互い信頼できる一組の男女が必要になります。しかし、お金と仕事をより尊重する社会では、そのような相手を見つけるのは簡単ではありません。仮に良いパートナーが見つかったとしても、多くの人達が子供を持ちたいとは思っていません、なぜならば、自分達の関係がいつまで続くか確信が持てないからです。世の中のシングルマザー達のおかれた厳しい状況を目にすると、次の世代の若者達もまた、結婚したいとか子供を持ちたいとは思わなくなります。物質社会では、女性は自然本来の(男性や子供といった)ものの中に幸福を求める意義を見出せず、代わりに社会的成功、ブランド物、お金、お酒やたばこといったものの中に幸福を見い出そうとします。そして実は、それらはやがて女性を孤独で不幸にしてしまうものなのです。(インドでは、99%の女性はお酒やたばこの代わりに、家庭生活や精神性の中に幸福を見つけます。インドの離婚率はわずか1%以下です。)

物質主義の社会では、人々は子供を設けることは価値のあることで、自分達が年をとってから、子供が自分の助けになるということを信じていません。たとえどうにか子供が生まれたとしても、彼らは健全な心を持った人間には成長していきません。なぜならば、彼らは両親の破綻した関係を見て育ち、そして、物質社会の過酷な競争の中でまた、社会とのつながりや人間関係への信頼を失っていくからです。だから親は、この先助けになってくれるのか希望が持てない対象(子供)に対して、自分の時間とお金を犠牲にしたいと思いません。そして、年を取った時安心して暮らすために、両親、息子、娘、といった親子関係ではなく、お金の方により信頼を置くのです。物質世界ではこのような形で、徐々に三世代(祖父母、両親、子供)が精神的、物理的に分離してゆきます。老人(祖父母)達は、孤独と戦いながら晩年を過ごします。夫婦は忙しい日々の中で、どのように子供を育てたらいいかわからないという不安から、子供を作ろうとしません(または子供を持つことは、利益よりも損失の方が大きいと考えます)。子供達は両親と祖父母の愛に恵まれることなく、その結果、家族生活には少しも関心を持たず、個人主義で、自己中心的、心が冷たく、また残酷な人格に育っていきます。

インド、ブータン、チベットといった、精神性の価値を重視する国々では、前述のような問題に苦しめられることはほとんどありません。家族や人々が、精神的な価値観によって強く結びついているからです。ですから、精神性の促進は、実のところ個人個人の人生の手助けになるのです。しかしながら日本人は、古代の智慧よりも、ブランド物や見た目のかわいらしさ、お洒落で見栄えのするものばかりを追い求めます。そして、それは後になって人生に影響を及ぼしてゆきます。

神聖なる叡智のみが、満足感を持って生きてゆく大切さを説いています。たとえお金や人間関係が完全とはいえない状況にあったとしても、満足していればより平和な人生を送れます。社会の中で忍耐力が育ち、昔ながらの三世代家族も増加します。多世代家族の中で、祖父母は子供や孫と一緒に生活し、孫の面倒を見ます。すると両親には時間の余裕できて、リラックスして過ごしたり、仕事をしたりも出来るでしょう。祖父母もまた、子供達と一緒の平和で幸せな晩年を過ごすことが出来ます。そして、孫達にとっても、両親の他に、頼りになる人生の先生であり、自分のめんどうを見てくれる人(祖父母)が家族の中にいることになります。また、そういった人達からしつけと家族というものの価値をしっかりと受け継ぎ、精神的にバランスが取れていて、家族愛に満ちた人間に育っていきます。このようにして、三世代が幸福でいられるわけです。

高い精神性が培われた健全な心を持っている人は、たとえ両親が自分の生涯のパートナーを決定したとしても、これといった大きな不満もなく、一生を彼/彼女と添い遂げます(インドや、それほど物質主義的でない国々ではごく当たり前のことです)しかし、物質主義社会では、アメリカや東京の例に事欠かないように、たとえ自分自身で相手を選択したとしても、かなりの数の人達が後に不満を募らせ、やがて離婚に至っているのです。物質主義とは、忍耐力がより少ないこと、決して満足しないということを意味します。精神的な価値観によって心が訓練された人は、より少ない物質で満足することができるのです。しかし、物質主義者は、人よりたくさんの物を持っているにもかかわらず、決して満足せず、そして自殺まで考えてしまったりします。日本人として、あなたの人生が満足のいくものでなかったり、深く落ち込んでいたり、愛がなく、家族も子供もいないならば、たとえ自分はどんな宗教とも無関係だと信じていたとしても、恐らく、物質主義という宗教の被害者となっているのです。もしも、あなたが物質主義の影響を受けていなくて大丈夫だったとしても、あなたの子供は社会生活の中で、物質主義に影響されてゆく可能性があります。なぜならば、精神性に関する興味を失ってしまった社会では、人々はまるで強い風に舞う枯葉のように粉々で、あちらこちらと彷徨いながら、そのうちどこかに流されていってしまうからです。

 
   

5.  科学の発展は幸福を生むだろうか?

 
   

日本社会は、西洋文化の影響下で、科学技術は人類を幸せにするには十分だと考えるようになりました。しかし、実のところ、精神性なくして、科学技術だけでは不十分です。科学技術は、愛情と人間の感情といったものへの価値を考慮しないからです。長崎と広島で起きたことが、科学技術の進歩の結果に人類が得た悲しき2つの実例です。ですから、精神的な世界を知らずして科学を神であるかのように信じ続けることは、将来地球にとって問題となってくるのです。科学技術によって肉体を楽しませるための大人の遊具は作れます。しかし、どうやってパートナーとの間で信頼関係と愛情関係を築くか、ひいては子供の数を増やすにはどうすればいいか、それは神聖な叡智によってのみ可能なのです。「宗教なき科学は不十分であり、科学なき宗教は目が見えていないのと同様である」とかのアインシュタインは言っています。

あなた方のうち何人かは、日本社会が抱えているさまざまな問題を取り除くために、NPOなどの団体と一緒に働いているかも知れません。しかし、前述のような日本の問題について、今まで考えたことはあったでしょうか。もし私が述べた全ての問題が解決されないならば、他の問題についても解決されることはないでしょう。なぜならば、全ての問題は、人間の基礎的な事柄に対する問題が根底となっているからです。この地球上で、満足して生きていく方法を学ぶことはとても重要です。太古の昔、物質的には今ほど満たされていなかったにもかかわらず、自然と宇宙との調和の中で、十分満たされて生きていた聖者達から贈られた、と宇宙の法則を紹介すること、これが、私が日本に来た目的なのです。そしてその宇宙法則を知らずして人類の発展は望めないのです。
 
   

6. 人類を救うのは、 肉食? or 菜食?

 
   

聖者たちが伝えた太古の叡智は、人間に自然を大切にする気持ちを思い起こさせ、菜食主義をうながしています。それによって上述の問題を解決するだけでなく、水不足や温暖化といった問題をも打開することが可能です。多くの専門家たちが、「人間による肉食への欲求が、水不足や温暖化問題を大きくしている理由の一つである」と結論付けるに十分なデータを持っているといいます。土地は何年もの間、動物達の体から何キログラムかの肉を手に入れるため、その飼育用の飼料を生産するために利用されてきましたが、かわりにその自然土地で直接、木であったり、人間が毎日食べられるだけの果物や野菜を生産し、食糧難を解決することも可能です。大地の浸食や温暖化も止めらるでしょう。こういった理由で、仏陀のような太古の聖者達は、人間の生きるべき道として、菜食主義を勧めたのです。そして、近代の偉大なる頭脳の持ち主アインシュタインも言いました。「菜食主義への進化以上に、人々の健康に恩恵をもたらし、この地球上で生き残るチャンスを増やすものはないだろう」と。私達は知るべきです。もしも馬や牛や象などいろんな動物が、少しの肉も摂らずに100%菜食で、それでいて最も健康で最も強靭な肉体を持てるならば、人間だって肉を全く摂らなくても健康に生きていけるはずだということを。だからこそアインシュタイン、仏陀、プラトン、ニュートン、トーマス・エジソン、ソクラテス、アブラハム・リンカーンといった歴史上の偉人もベジタリアンだったのです。(詳しくは「運命好転の法則」をお読み下さい。)

 
   

7.  スピリチュアリティの正しい見分け方

 
   

何人かの人が私に言いました。私のアイデアは日本の社会にとってとても有益だけれども、私が一人で動くよりもどこかの大きなグループか宗教団体に属していたら、もっともっと多くの人が私の活動の手助けをしてくれるだろうと。

しかし、歴史を振り返った時、この地球上に存在した太古の精神性の高い教師達の誰も、特定の団体には属していませんでした。彼らは独立して教えを続けました。宗教というものは後世になってから、彼らの名の下に創設されます。そのようなマスター達が生存していた間、全ての人がその教えを信じたわけでなく、その考えを広めようと手助けしたわけではありません。なぜならば、生存中のマスターは有名でもなく、大きなビルを所有していたわけでもなかったからです。人々はマスターについていきませんでした。普通の人は人類の叡智よりも、名声、権力、群集、そして大きなビルといったものに強く影響されるものです。そして、精神世界においてさえ、人々は同じこと(名声、人気、ビルなど)を追求するようになっていきます。それぞれの人生において、そういったものが欲しくなってしまうからです。ですからキリストが生きていた時代でも、人々は、キリストの名声や彼の持つ本当の力が目に見えなかったために、彼を信じず、当時大きな勢力を誇っていたエルサレムの教会を信じたのです。そして、仏陀の時代でも、嫉妬深い従兄弟のデーヴァダッタがアジャットシャットゥル王の政治的後ろ盾を利用し、仏陀よりも有名になり、人々は仏陀ではなく、デーヴァダッタの方に従ったのでした。

そういうわけで、多くの聖者達からのメッセージは、なかなか直接はっきりとはこの世に伝わらないものなのです。そのため、人々は、真の神聖なる精神世界がどんなものなのか決して知ることが出来ません。しかし、人々は、歴史に名を残す聖者達の死後も彼の名を使い続け、彼の名において新しい宗教を創設します。どの宗教も、自分達の救世主だけが、全人類を救済すべく神に遣わされたと信者に教えます。様々な宗教がそのような事を説いて勢力を広げてきました。だから世界は平和に向かうのではなく、戦争の方に向かって動いていっているのです。それは、そもそも精神性というものに対する誤解から生じています。なぜなら、私達は、何が尊重されるべきか、何がそうでないか、その判断基準となる精神性についての教育をあまり受けていません。当時の民衆はエルサレムの教会かキリストを信じるべきか、また、仏陀かデーヴァダッタのどちらを支持すべきかわかりませんでした。しかし今日の状況はもっと深刻です。もしも、ある一人の精神世界を教える教師が、どこかの宗教団体か政治団体に属したとしたら、実際には、彼は自由に真実を教えることが出来ません。なぜなら、そのような教師にとって1番大切なのは彼の組織であり、彼の宗教であり、神や真実は2番目になるからです。

だからこそ私は、どの宗教にも組織にも属さずに自分の使命を継続したいと思っています。

 
   
8. 政府とメディアがすべきこと  
   

日本政府は知っておくべきです。人間は、生と宇宙の神秘に対する答えを見つけることに、常に単純な興味を持っています、そして、それは日本人も同じだということを。しかし、もしも、政府やメディアの助けがなければ、私達は自分で答えを見つけようとし、その結果、時に特定のグループの狂信的な信者になってしまうことがあります。一般の人々は、忙しい日常生活の中、時間もなく、多種多様に存在する全てのアイデアや哲学を知ることは不可能です。そんな中、ある日突然どこかのグループと出会い、その宗教の教えを繰り返し聞くうちに、至上の真実を見つけたと思い込み、そして盲進的な信者となっていきます。これが宗教の狂信問題の主な原因です。さて、ここで疑問なのは、このような状況で一体どうやったら私達は正しい答えを見つけ、洗脳から身を守ることが出来るのかということです。

世界中の、全ての国の政府とメディアは、TVの前に全世界の精神的指導者を一堂に集め、彼らの哲学とイデオロギーについて話し合わせ、お互いに評論させるべきです。科学者達は他者の理論を検討し、互いに評論しています。そうすることで人々は、その理論のあらゆる側面を知ることが出来ます。この方法ならば人々は特定の理論もしくは大きな勢力を持つグループからの洗脳を受けずにすむのです。これが、人間社会に精神性の重要性を伝え、そして人間社会が更に素晴らしい文明へと進化してゆくための、ただ一つのそして最も高度な方法です。これ以外の方法は、あまり頼りになるとは言えません。

これが私のメッセージです。

 
   
9. 日本を変えるために、私達1人1人がすべきこと  
   

さてここで1つ知りたいことがあります。人口1億2千7百万人のこの国のどこかに、日本をより平和にするために、太古からの人類の叡智が、何らかの方法で支えられるべきだと考える人々はいるのでしょうか?

インドでは、精神性は絶えず成長し続けています。なぜなら、このような精神的な活動が、古代のマスター達の言葉を信じる人々によって、ボランティア活動のみならず経済面でも援助され続けているからです。たとえば、今から2500年ほど前に、仏陀は、ニルヴァーナ(涅槃、解脱)に達したければ、6つのパラミタ(この世の側の岸辺を超え、涅槃に渡るための徳目)を完成する必要がある、と説きました。

 


  1. Dan ダン:寄付
  2. Sila シラ:規律、適切な行動
  3. Ksanti クシャンティ:忍耐、寛容
  4. Virya ヴィリヤ:真実に達するための絶え間ない努力、勤勉
  5. Dhyana ディヤーナ:瞑想
  6. Prajna プラジュナ:智慧

 
なぜ仏陀は、寄付という行いが、悟りに達するために役に立つと言ったのでしょうか?人はお金にとても愛着を持っていて、自分にとって、とても重要だと思うことだけにお金を使うものです。だからお金の使い方を見れば、その人の行動や、人生の目的が何かということが簡単にわかります。今、世界中を見渡してみると、ほとんどの人が、食事、お酒、喫煙、高価な衣服や海外旅行といったことに、好んでお金と時間を費やしています。なぜなら、その人達にとっては、それらの事柄の方が、精神性、神や悟りといったことよりも重要だからです。そういうわけで、悟りは、この世の全ての人のために用意されているのではなく、限られたごく一部の人だけのものなのです。悟りや仏陀の言葉の重要性を信じ始めると、その人の人生観やお金の使い方が変わります。インドでは、今日でも多くの人々が収入の1~10%のお金を、精神性に関する目的のために払い続けています。そのお金は、インド中に何千と存在するアシュラム(中には、敷地が周囲何キロにも及ぶような広大なものもあります)の運営を支えています。そして、そこでは、誰でも無料で滞在し、精神性を学ぶことができるようになっています。しかし、日本には、お酒やタバコには惜しまずお金をつぎ込んでも、精神世界を援助するために費用を投じる人はいません。そして、精神に係わる様々な問題が日本の社会に蔓延し始めた今、みな一様に首をかしげ、「一体どうしてこんなことが起きるのかわからない」と口にします。もし日本のみなさんが一歩踏み出し、精神性を広めるための仕事をお手伝いしてくれるならば、私は、日本社会において失われてしまった精神性を尊重する心を再び甦らせたいと思います。でも、それは、私を助けてくれる魂達がいて、初めて実現できるのです。ですから、可能ならば、あなたのできる範囲で結構ですので、私の活動を援助して下さい。ほんの少しでもかまいません。少しずつ定期的に援助いただくことが大きな助けとなります。たとえ毎月100円、500円、1,000円であっても、とても有効ですし、もう少し高額な援助はもちろん厚く感謝いたします。日本国中に精神世界のメッセージを広めていくのは、大勢の協力と努力が必要です。もしも金銭的な支援が難しい場合は、以下のような方法でご支援下さい。  
   

  1. 「運命好転の法則」を購入し、ご友人、ご家族などに広める
  2. 「ヨガジョーティ」のポスター/チラシを
  3. あなた、またはご友人などのお店やレストランに貼る
  4. 私のセミナーを主催する
  5. 「ヨガジョーティ」のウェブサイトをリンクする
  6. ボランティア(チラシ配布など)
  7. どんなことでもいいから、私のメッセージを広めるために活動する
  8. 私のメッセージを広めるためのアイデアを提案する
 
   

この活動を支持できないという人達は、これまで述べてきたような様々な問題 - 社会的な、自然に対しての、そして宗教的な問題 – を間接的に助長することになるでしょう。たとえその人達が社会にとって良い行いをしたいと思っていたとしてもです。

私の活動に賛同し協力したいが、精神世界に関する世間の誤解が心配で、名前を明かしたくないという方がいらっしゃれば、プライバシーは厳正に管理いたしますので、どうぞご安心いただきたいと思います。

古代の智慧とはどんなものかご興味があるなら、また、これまで述べてきたような様々な問題からあなたの人生を守り、現代社会の物質主義の性質を変えていく一助になりたいとお思いならば、ぜひ「運命好転の法則」のページをめくってみて下さい。この本には、この地球上で満たされて生きていくこと、自然を尊び、宗教的狂信に陥ることを回避し、そして悟りに向かって進んでゆくこと、そういったことを私達に教えてくれる、自然と宇宙の法則が随所に散りばめられています。この太古の叡智は自殺を減らし、日本の子供の数と多世代家族を増やし、人間関係を向上させてくれるでしょう。この太古の叡智をもってすれば、日本は高度な技術を持つ国としての優れたお手本であるばかりでなく、平和と幸福の国としての世界のお手本となるでしょう。

このような私の活動を手助けすることは、神の目から見て、良い行いだと信じる人はいるでしょうか?

あなたの答えを待っています。

平和を

アマン

 
 
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