Yogajyoti --> アーチャリャ アマンは日本に
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  第一章 スピリチュアリティへの目覚め  
  「運命とは何だろう?」
「神とは何なのだろうか?」
 
 

この地球上で生きるほとんどすべての人々にとって、この二つの疑問は常に謎に包まれています。 そして、私たちがこの疑問を解決しようとするかしないかにかかわらず、人生というものは常に「運命と神」の支配下にあります。

重力を発見したニュートンが生まれる以前にも、地球上に存在した多くの人々、科学者でさえもみな重力のある世界で暮らしこの世から去っていきました。しかし、地球に働く偉大な力によって私たちが支配されているということに気づく者はいませんでした。彼らが歩いているとき、話をしているとき、本を読んでいるとき、眠っているとき、人生のどの瞬間にも、地球上にいたすべての人々は重力の中に在ると感じることはなかったのです。

そして、重力と同様に、人々は運命と神が支配する中で生まれ、この世でさまざまな事柄に直面して死んでいくにもかかわらず、運命の働きや神と人との関係について知らないままでいます。

人間が重力というものを深く知ったところで、人々の暮らしに大きな変化が起きることはありません。しかし、私たちがほんの少しでも運命や神というものに目覚めたなら、宇宙から得られるたくさんの恩恵があります。それによって、私たちの私生活に起こる多くの事柄を変えることができるのです。「運命と神」は、この重力よりも、もっと神秘的な力を持つものなのです。

私が出会った多くのインドのスピリチュアルマスターたちから習得した知識と、神聖さに向かって追い求めて得た解答は驚くものでした。それは、「運命」「神」は切り離された現象ではなく、この二つは「まったく同じもの」だったからです。

「運命」と「神」が同じであるとは、いったいどんなことなのか、もしも、あなたが運命と神というこの宇宙に働く目に見えない現象に興味を持っていて、その答えを知りたいと思うならば、この本の中で説明していく真実の中で、あなたに覚えておいてほしい重要なポイントがあります。

それは、人が「運命」という謎を理解したいと思うならば、「音」「光」「アイデア」が、どのように人間に作用しているのかを理解しなければならないということです。そして、「神」という謎を理解したいと思うならば、やはり、「音」「光」「アイデア」について理解しなければなりません。

しかし、なぜ、私がそのようにいうのか、あなたは疑問に思うでしょう。

あなたがこの本を読み終わる頃には、「光、音、アイデア」というものが、宇宙の普遍的なレベルで機能するときに、どのように「神」と同じものとなり、「光、音、アイデア」というものが個々の人生において機能するとき、それらがどのようにして「運命」と同じものとなるのか、あなたは気づくことができるはずです。

そして、同時に「運命」と深く関わりあう「カルマ」の仕組みも理解する必要があります。私たちが自分の人生に起こった事柄を「日記」に書くように、私たち一人一人が何回も生まれ変わるそのすべての人生は、この宇宙の中で「魂が永遠に書き綴っている日記」のようなものです。「自分自身の態度と思考と行動」が「ペン」の役割をして、自分自身の運命を自ら書いているということがわかってくるでしょう。

そして、運命の支配者となった人々によって伝えられてきたいくつかの秘訣があります。それは、あなたの個人的な運命に対して、あなた自身がどこまでコントロールすることができるのかを説き明かすものなのです。あなたの運命をより良いものにして、最終的には、悟りに到達することもできます。そして、幸福と悟りは、切り離せないものだと理解できるでしょう。
では、今から一緒に運命の支配者となる聖なる旅へ出発しましょう。

スピリチュアリティとの出会い

 私がまだ十四歳だったときには、同級生たちと同じように、自分の将来を夢見て、平凡な生活を送っていました。

ある日、私がインドのマンガ本を読んでいたときのことです。そこへ父がやってきて、一冊の本を差し出し、それを読むようにといいました。その本は、科学的には解明されていない宇宙に存在する生命の神秘に関するものでした。

「お父さん、ぼくが読めるような内容のもの? このぼくが読んでもわかるようなものなの?」

「十四歳でコンピュータの専門家になった子供だっているんだから、同じ十四歳のおまえが生命と宇宙について考えられないはずがないだろう(その当時、インドにはコンピュータの専門家として活躍している子供たちがいたのです)。

マインド(訳注)というものは、当人が難しいと思うまでは何が難しいのか理解できないんだよ。マインドは液体のようなもので、どんな形にも変えることができるんだ。それに、おまえにとって何かを本気で学び始めるにはちょうどいい年頃じゃないか。(訳注){マインド……頭で考えること、心に想うこと、精神で感じること、人の内面で起こるすべてを含む}

人生の目的を見つけるために、将来おまえが苦労するのを見たくないんだ。たから、できるだけ早くこういう話をしたいと思っていたんだよ。明日何が起こるか誰にも予測できないだろう。いつでもおまえにこの大切な話ができるとは限らないからな」
父はそのように話してくれました。

私は、父から受け取った本をすぐには開こうとしませんでした。そして、それから何日か経って、読みかけだったインドのマンガ本を読み終えたある日、ついに読むものがなくなり、私は父が渡してくれた本を開きました。

すると、数ページ読み進んだだけで何か心に響くものを感じて、一気に読み終えてしまいました。 私は子供の頃から多くの聖者に会ってきましたが、その本は、本物のスピリチュアリティを感じることのできる神聖な川の流れの中に、私を深く投げ入れたのです。

私の家系が、スピリチュアルなことに関わっていることもあって、祖父や父も本当の幸福がどういったものなのか、代々子供たちに伝えてきました。父は学校の教師をしていたので、人が本当に幸福になる教育とは何かを考えていた人です。

それからというもの、父が読むすべての本、父が会うすべてのスピリチュアルマスターたちに興味を持ち始めました。

現実には存在しないようなネズミや猫が登場するマンガの中の滑稽な架空のストーリーに興味を持っていた私が、生命と宇宙という自分の目の前にある現実の事柄を知ることに、もっと強い好奇心を持ち始めたのです。

私は、なぜこの宇宙に生命が存在しているのかを考え始めました。日が経つにつれて、人生というものは見た目どおりのものではなく、目に見えるこの宇宙の背後には、目に見える以上の「何か」があるという想いが強くなっていきました。

 高校を卒業し、大学生になり、私がインドの北部チャンディガルにあるパンジャブ大学大学院のサンスクリット語(インド哲学専攻で)修士課程に入学しました。スピリチュアルな世界に関心を持ちながら、普通の大学生と変わりない生活を送っていました。ところが、卒業試験が迫ってきていた時期のことです。私の人生に大きな変化を与える出来事が起こりました。
インドでは、卒業後に良い職業に就けるかどうかは、修士課程の成績次第で決まります。そのため、すべての学生にとって卒業試験は一番の心配事だったので、どの生徒も試験の準備に忙しくしていました。

しかし、私は、試験のことも多少気になってはいたものの、心の中に次々と浮かぶスピリチュアルな疑問の答えをどうしても知りたいという気持ちでいっぱいだったため、試験勉強にはあまり身が入りませんでした。

試験の準備が進まなかった理由はもうひとつあります。大学の近くに、デーラという多くのヨギ(悟りを目指す修行者)が暮らしている場所があって、私は何人かのヨギと仲良くなっていたのです。私は、時間があると(たいていは大学の昼休み)、デーラへ行って顔馴染みのヨギに会い、スピリチュアルなテーマについて話していました。

普通の人たちがパーティでワインを飲むのと同じように、ヨギはラッシーと呼ばれるヨーグルトジュースを飲みます。私たちもラッシーを飲みながらよく議論をしたものでした。濃厚で甘みのあるラッシーは、神経系をリラックスさせるとともに眠気を起こさせる効果があることで知られています。

 デーラから大学に戻ったあとは、午後の講義が待っていました。講義をサボったりはしませんでしたが、ラッシーを飲んだため、ときどき講義中に居眠りをしてしまうことがありました。そこを教授に見つかり、よく教室から追い出されたものです。こんなことが何度も続き、教室での私の立場はまずくなる一方でした。

そのうち、良い考えを思いつきました。前の席の学生と友達になり、居眠りをしている私の姿が教授から見えないように、背筋をピンと伸ばして座ってくれと頼んだのです。
このやり方はとてもうまくいきました。そして、何度も彼に助けられました。彼と私は親友になりました。

そして、私はその親友をヨギたちに紹介しました。彼もヨーガに関する話に興味を持ち、私たちと一緒にラッシーを飲むようになりました。
ラッシーの催眠効果は、当然、彼にも表れます。こうして彼の身にも私と同じ問題が起きるようになりました。講義中に彼が居眠りをして頭をこっくりこっくりさせると、私が居眠りをしているところも教授から丸見えになってしまいました。二人とも教室から追い出されたことはいうまでもありません。
そうするうちに、彼は私と仲良くするのはいけないことだと感じ、教室では別の席に座るようになりました。
私はその後もヨギたちとのつきあいを続け、ラッシーを飲むこともやめませんでした。
試験がいよいよ近づいてきたとき、私は良い点をとる自信などまったくなく、講義中も、試験の結果が心配になり、頭の中は不安でいっぱいでした。しかし、また、いつの間にか居眠りを始めてしまうのです。
あるとき、誰かが私を呼んでいることに気づきました。
「アマン、アマン」
いろいろなことについてよく議論しあうヨギが私に話しかけているのだと思いました。
「何をそんなに心配しているんだ?」と、彼は私に尋ねました。
「将来のことが不安なんです」
「きみの将来は、運命によってすでに決められているんだよ。ただそれが後に明らかになるだけなんだ」
「そのぼくの運命とはどんなものなのか、知りたいんです」
「それなら、運命ではなく神を知るほうがいいだろう」
「運命より神を知るほうが大切なんですか」
「いや、運命も神も同じなんだよ」
「神が運命と同じ? どうしてですか」
ヨギは答えてくれませんでした。
「神とはどのような存在なのでしょうか」と、私はあらためて質問しました。
「神とは、光であり、音であり、アイデアなんだ」
「それじゃ、運命とは?」
「運命も同じなんだよ」
私は、さっぱりわけがわからなくなりました。
「神と運命が同じ? そんなことがありえるんでしょうか?」
でも、ヨギからの答えはありませんでした。
そして、もう一度私の名前を呼ぶ声が聞こえました。しかし、それは例のヨギの声ではありませんでした。
「アマン!」
再び静寂が戻りました。
「アマン!」
また声が聞こえてきました。
それは、教授の声でした。私はまたしても教室から追い出されてしまったのです。

教室を出ると、まっすぐデーラに向かい、私は、「運命も神も同じだ」という先ほどの言葉を、何度も頭の中で繰り返し考えていました。私はその言葉に何か特別な意味があるのか、それとも自分の勝手な想像なのかを確かめたかったのです。もしも、それが何か意味を持つとしても、そんな話を聞いたのは初めてでした。それに、私の知る限りでは、今までに地球に存在した人々だって、そんな話を一度も聞いたことがないだろうと思いました。

 
 
 
 
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